空想と現実と。エクセルシオの気ままなブログ。
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硫黄島からの手紙
明けまして、おめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

今年は手を抜いて、年賀状はおろか、年賀メールさえ誰にも送ってませんでしたので、この場を借りて新年の挨拶を。・・・そんな無精者にも関わらず、年賀状&年賀メールを送って下さった皆さん、本当にありがとうございます。

さて、いつものブログを。

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【映画感想 「硫黄島からの手紙」】

「父親たちの星条旗」の手すさびなんじゃないか、そんな心配は杞憂。
映画としての緻密さは前作に譲るし、予算上の制約を感じはするものの。こちらにはストレートな戦争ドラマとしての魅力がある。さらにつけ加えれば、日本の描写の正確さは今までのアメリカ映画とは次元が違う・・・鑑賞中、これがアメリカ人監督の手によるものを忘れさせる程のもの・・・が、しかし単に日本兵をアメリカ兵と平等に描こうなどという映画でもない。とても冷静、それでいて敬愛に満ちた眼差しが感じられる映画。

この映画、イーストウッド監督らしい持ち味が存分に発揮されている。
栗林中将やバロン西こと西中佐といった実在した登場人物を、狂言回したる等身大の主人公の目線から描き・・・また回想場面を巧みに挿入することによって、行間から登場人物の心情が伝わってくる。映画全体に、近すぎず遠すぎない絶妙の距離感があり。そんな雰囲気にセピア調の画面が実によく映えている。
"Less is more"を掲げるイーストウッド監督には、日本というテーマとの相性がまたとても良かったのかもしれない。

映画は物語の舞台を絞り込み、そこにあること、戦場での事実を淡々と積み上げていく。捕らわれの身となる兵士を巡るエピソードの数々を取り上げただけでも、一つ一つがねじれて絡み合い、一面的な見方を拒む。複雑な思いに駆られる。そんな中、映画で特にクローズアップされるのは名誉と生と死。「父親たちの~」と同じく、ここでも安易な英雄の虚飾を暴いていく。強要される玉砕の痛ましさ、無謀な突撃の滑稽さ。それらの逸話は、死に急ぐことの無意味さがグサリと胸に突き刺さる。
しかし死を厭わず戦った者たちを、この映画は否定しない。渡辺謙演じる栗林中将しかり、西中佐しかり。己の信念に忠実であろうとした彼らの強靭さ。それは二人とも敵国をよく知る人間であるだけに、より一層忘れ難い。西中佐が部下に託す言葉(最善を尽くせ。自分の道を進め。それが正しい道だ。)は、迷える戦場でのさながら道標のようだ。

映画は、混沌として相容れない現実を描きつつも。
(栗林中将の台詞が印象的・・・家族がいるから戦う自分がいる。しかし、家族がいるから死ぬことを躊躇う自分もいる。)
共通するもの、同じ思いをそこからすくい取ってもみせる。手紙というツールを通して、それらがクッキリ見えてくる。それは、軍隊内での上下関係、いわんや国籍をも問わない。ラストではそれらは画面中に溢れだし、過去と現在という垣根さえも飛び越えてくる。

戦うことの皮肉さ(「コルト・ガバメント」を取り戻そうとするシーンは象徴的)を感じつつも。万感が込められただろうそれらを前にすると、戦場で散った全ての兵士に敬意の念を払わずにはいられない。
静かなピアノの調べと伴に、深い余韻に包まれる。


硫黄島からの手紙
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テーマ:硫黄島二部作 - ジャンル:映画

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