空想と現実と。エクセルシオの気ままなブログ。
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『ロッキー・ザ・ファイナル』
【映画感想】
ロッキー・ザ・ファイナル
"Rocky Balboa"

ボクシングを題材にした映画には優れた人間ドラマが多いと思う。個人的には50年に一本の傑作だと思う、重層的で神がかり的な作品『ミリオンダラー・ベイビー』。スコセッシ監督のベスト、破滅的な人物を妥協なく描ききった『レイジング・ブル』。ボクシング映画に付きものの闘争心をあえて省いた点がユニークな、サラリーマンボクサーの物語『シンデレラ・マン』。そして『ロッキー』。
ロッキー1作目は素朴な、とてもいい映画だった。アメリカンドリームを体現した映画とはよく言われるけれど、勝敗にこだわらず、その過程の価値を何より重んじている点でとても日本人好み。坂口安吾の言葉「行為の値打は、その人の信念によって支えられ、そこにだけしかないものだ」がぴったりくると思う(ロッキーで坂口安吾はないだろーと場外から言われるかもしれないけど)。

さて。ロッキーシリーズの完結編、この『ロッキー・ザ・ファイナル』。はっきり言って欠点も多い。メッセージを台詞で語りすぎて物語が説明的。魅力的な設定、とくに対戦相手の現役チャンプのそれ(彼は悪役ではなくて不人気に悩む一人のボクサー、これが最後にものすごく重要な要素になる)が活かせてない、などなど。それでもこれ、素直にいい映画だと思った。それは無骨で荒削りでパワフルな魅力があるから。もしそれを何か食べ物に例えて言うなら、頑固オヤジの作るとんこつラーメン(ちょっと個人的な嗜好が入ってます、笑)。それも間違っても今どきの小奇麗な店で出されるものではなくて。暖簾に年季の入った古めかしい店でのそれ。見てくれはちょっと悪いし目新しいものはないが、でも味はいい。
『ミリオンダラー~』の深遠さはこの映画にはないかもしれない。だけどあの映画では生み出せない、ストレートな気迫とガッツがある。それが映画全体からほとばしっている。さながらロッキーの生き様とこの『ロッキー・ザ・ファイナル』 自体が同化したよう。一本の映画として見ればアウトな造りも、これがロッキーの物語なんだと思えば妙に納得してくる。再びリングに立ち上がらんと突き進む彼の姿(ロッキーは年齢なんてぜんぜん気にしちゃいない、迷わない)が描かれば描かれる程に説明的と思えたものが熱く胸を湧かせるものになってくる。その熱い想いは、あの有名なテーマ曲をバックにしたトレーニングのシーン、そしてフィラデルフィア美術館でのガッツポーズで頂点へ!

「絶対に勝てない。でも15ラウンドまで戦えば、負け犬でないことを証明出来る。」
とは1作目でとても印象的だった台詞。この言葉、『ロッキー』と『ロッキー・ザ・ファイナル』の関係にも当てはまると思う。『ロッキー』の夢よ再び。そんなのどうやっても無理だ。1作目は自身無名の俳優だったシルベスター・スタローンだからこそ創れた映画なのだから。出来上がった映画を観ても『~ファイナル』には1作目にあった繊細さ(ロッキーが自分の不遇さを愚痴った後、教えを請いに行く後ろ姿を遠くから撮ったショットなど)なんかは皆無で、ドラマ面での演出は劣る。
(ただ今作のクライマックスの試合の臨場感はなかなかのもので、まるでいきなりTV中継の中に放り込まれたよう。途中経過も、鋭いカッティングと血が映えるモノクロの画面でより魅せる)

けれど。1作目にあった感動を、あれから30年経ち違う形で伝えたい。そういう想いはとにかくガツンと伝わってくる。そして自分を映画界へ引き上げてくれた『ロッキー』へのスタローンの深い深い感謝の念も、愛妻「エイドリアン」を通してひしひしと伝わってくる。その意気込みと想いに感服。『ロッキー・ザ・ファイナル』 は結局、試合に負けたのかもしれない。でも見事15ラウンドを戦い抜いた・・・とでも言いたくなる。『ロッキー・ザ・ファイナル』 は『ロッキー』にあった誇りを取り戻すまでの物語。『~ファイナル』は1作目の精神、勝敗を超えたもの、それを最後になって取り戻した。

ロッキー・ザ・ファイナル
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テーマ:ロッキー・ザ・ファイナル - ジャンル:映画

『107+1~天国はつくるもの~』
ぼくは映画はそれこそ三度の飯よりも好きで、ぞっこん入れ込んでいるけれど。映画は所詮、映画だともよく思う。たとえば映画で歴史的事実を知った気になるほどバカバカしいことはない。『硫黄島からの手紙』は傑作だけれど、あれも事実の再現という意味で云えばいい加減なもの(実際は劣悪な環境と飢えに苦しみ、相当な地獄だったようだ。また市丸少将の印象的な逸話もない)。映画で知れる確かなものは、登場人物の心の流れと監督の想い。それはドキュメンタリーでもそうだと思う。監督の主観に左右されるものなのだから。映画は自分自身の現実あってこそのもの。
さて。ある方の日記で、『107+1~天国はつくるもの~』というドキュメンタリー映画を知った。「感動したで終わらせない」というキャッチフレーズに、なんとなーく惹かれて観に行った。「てんつくマン」なる人物がどういう人かも知らず、トークがあるとも知らず、会場に行ってはみたけれど、うーーーん、こりゃ大丈夫かなと思った。が、とても良いインスピレーションを受けた。お目当ての映画とは違うところで。いつもブログで書くことと勝手が違うので上手くそれを表現できる自信はないけれど、とにかく書いてみることにする。

とにかく、てんつくマン本人のトークがすごく良かった。
彼が特に取り組んでいるのは環境問題。知識ではよく知っているし、大切なことなのは分かるんだけど、でも素直に言ってあんまり食指が動かない問題。それらに付きまとうイメージは堅苦しい、教訓的、足し算よりも引き算。で・・・そういうものに対するこの人の解答は、実にあっけらかん。「環境問題は楽しもう!」。これは聞いて目から鱗。問題意識についてカチコチだった自分の頭がフニャフニャに。でも不思議と今ある問題の大切さも、しかめっ面して言われるよりも、とっても説得力があった。それでいて、とても真摯に物事を捉えている人なんだということも話振りからよく感じられた。そんな人の言葉だからこそ「楽しもう!」なんて文章にしたらピンとこないかもしれない発想も、すごく生き生きとして感じられた。ああ、こういう人ならずっと真剣に続けて行くんだろうな。そう思えるものがあった。「語るのではなく行動!」。この人が言うと何かをしてみたくなる。

喋りが上手いだとは思うけれど(元は芸人だしね)。でも体験したこと、人から聞いたこと。てんつくマン本人の言葉を借りれば、それらが「ワクワク感」に満ちていた。語られる言葉はぜんぜん小難しくなくてとても素朴なんだけど、深みがあった。たぶん、敬意の念が言葉の合間から滲み出ているからなんだろう。テクニックや知識では誤魔化せないものが感じられた。そういう人柄にも感動した。
映画自体の評価は、敢えてあんまり書きたくない。ちょこっとだけ書けば、自主映画とは思えないほどしっかり編集はされている。でも自主映画だからといって評価を底上げするのはフェアじゃない気がする。でも映画じゃピンとこなかったことがトークを聞いて腑に落ちた。ぐっと奥行きが出て立体的に見えた。「この映画はまだ終わっていてません」と、てんつくマンは言っていた。映画自体も本人の言葉を聞いて、ひとつの作品として完成するものかもしれない。この映画に対しては、映画は所詮、映画という気にはなれない。

ぼくがこの映画を観たのはちょっと前。
観終わった直後は、いい時期にいいものに巡り会えたな~と思ってハッピーになってたけれど、現実はその後いいことばかりではなく。ぼんやりしてた時に、ふとこの時のことを思い出す機会があった。たとえインスピレーションを受けても、現実の忙しさに忘れ、打ちのめされ、それは奥底に沈んでしまうこともある。ただ、それは大事に育てていけば何かを成し遂げられるもの。てんつくマンの生き方からはそういうものも感じた。それを、はたと思い出した。

テーマ:日記 - ジャンル:日記

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